くす田くす博さんとCZ↑のMAEPです!

皆さんこんにちは!モリ芸実行委員、CZ↑のMAEP(まえぴー)です!
タイマン大道芸出演者インタビューの記者を担当しています。宜しくお願いします!

モリ芸実行委員でもある「くす田くす博」さんのインタビューです!
どうぞご覧ください!

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ー改めてくす田さんにインタビューってなると変な感じがしますね。

なんか、ごめんね。
僕のことそんなに好きじゃないのは分かってるんだけど。

ーそんなことないです!!(笑)

分かるよ~表情とか話し方から伝わってくる……。

ーなんか……そんな風に感じさせてしまってごめんなさい。

ちょっと待って!ガチっぽくなるから!(笑)

ーそんなことないですよ!しか言えないですよ!(笑)
※MAEPはくす田くす博さんを尊敬しています。いつもありがとうございます!

ーさて、モリ芸いよいよですが……
ー1戦目のお相手は「Hi2」さんですね。

いや~絶対に勝てるネタがあるから(手加減して)負けてあげないといけないわ。


ー負けてあげないとですか!くす田さんが優勝するのはダメなんでしょうか。

イベントの盛り上がりを考えると、Hi2君が残ってた方がお客さん来てくれるでしょ。
イベントディレクター的には競らないと(いい勝負をして負けないと)だね。
(→予選に懸賞金がかけられるクラファンはこちらhttps://morigei.stores.jp/

ーネタは4戦分考えてあるとおっしゃってましたよね。

そう、あとは衣装の準備だけ。

毎年ね、ちゃんとネタを考えているんだよ。
でも悪い癖が出て2日前くらいに「これ面白くないな!」と気づいてしまって、
辞めちゃうことが過去にあったので。
今回は、ちゃんとネタを考えてるんですよ!ということを周りにアピールするために、
ネタがあるって言いふらしてます。

ー無策で臨んでいるわけではないんですよね!

ーところで、くす田さんはいつから大道芸を始めたんですか?

33歳の時に社員としてクラウンをスタートして、40歳の時に大道芸を始めました。

元々役者をやっていて、僕の先生は北の国からの「倉本聰(くらもとそう)」さんなんですが、
「海外では役者がピエロの学校で喜劇を学んでいる、役者もピエロを学ぶべきだ」ということで、クラウンを始めたんです。

それまでは、フリーのディレクターをやっていて、
自分の中で停職につかないとな~と思っていたので、
タイミングよくヘッドハンティングで社員に引き抜かれて、
社員としてクラウンをすることになりました。

ちなみに僕は中部で唯一キティちゃんを呼びに行ける男なんですよ。

ーキティちゃんを呼びに行ける?

キティちゃんがどこかにやってくるときは必ず箱に入ってやって来るんですが、
触れられるのは、ライセンスを持っている人だけなんです。
社長ですら触れることが許されてないんですよ。

ー 箱から出てこっちに来てくださ~いって呼びに行く行為は、ライセンス制なんですね(笑)

そう、座学を受けていないと行けないんです。

あとは、モンキーパークの着ぐるみとかも僕が担当していました。
デザインから製作の細かいところまでいろいろと手配して、かなり好評な出来になりました。
パレードとかも人気が出たんですよ!
(→モンパくん・モンピーちゃんについてはこちらhttp://www.japan-monkeypark.jp/monpa/

でも、こういうやり取りを社長になんにも言わずに進めてしまったもんだから、当時は結構揉めたね。

ーくす田さんが上手くやってしまったから、どこか悔しい気持ちもあったのかもしれませんね。

ーその社員時代からどうやって大道芸に転向していったんですか?

社員として、クラウンくすくすとしては結構売れていたんだけど、
会社に内緒で勝手にヘブンアーティストに応募したんだよね。
あの頃のヘブンはまだ合格率が5%未満くらいで、
今のままじゃだめだな(落ちるな)と思って、同じ事務所の先輩(あいあいさん)に相談した。

いい方法がある。やるなら教える。やらないなら教えない。
って言われて教えてもらったのが「サラリーマン」

そのワードで自分の中で全てがつながって、
サラリーマンが大道芸をやる!って2日でネタを作って、名前を「くすくす」としてヘブンに出た。

ー2日で!!その時はどんなネタをやったんですか?

挙動不審のサラリーマンが出てきて、客席をきょろきょろと見渡して……
「好きだーーー!!!」
って叫ぶスタート。

ー何だろう?!ってなる始まりですね。

そう。不景気な世の中で時代に乗り遅れたサラリーマンが愛を叫ぶってコンセプトで。
そんなこんなでヘブンに一発合格した。

奥さんには入社して3年ぐらいの時から
「ずっとそうだったんだからフリーでやればいいじゃない」
「何が怖いの?」って言われてて。

自分自身が一番サラリーマンじゃなきゃいけないって思ってたんだけど、
ここで(くすくすというキャラに気づいて)決心がついたんだね。

とはいえ、大道芸人としてやっていくにはまだ自信がなくて、
タイミングをみてディレクター業に戻るか、と思っていたんだけど、
会社を辞めて大道芸人になった年が2011年、東日本大震災があったんだよ。

GWとかまで入ってた仕事が全部飛んで。
どうしようかなって思っていたら、奥さんが
「芸人が芸を見てもらえなくなったら終わりでしょ」
「東北に、ボランティアでもいいから行っておいでよ」って。

その時、嫁に内緒にしていた借金もあって、退職金やら貯金やらすべて返済に充てて、
本当にお金がない時期だったんだけど、
2,3万円だけもらって東北に行ったんだよ。

でも、現地についてみて「本当にここで芸をやっていいのかな……」と思った。
体育館一面にブルーシートとか、避難してきた人たちがいるような状況でさ。

でも、そんなときに誰かの「明日死ぬって分かってても人は笑えるんだよね」という言葉を思い出して、
それが自分の行動とつながって、少なくとも悪いことをしてるわけじゃないなって思いなおせた。
ちゃんと意味のあることをしていると感じて、そこからショーに対する考え方が変わったね。

その時ぐらいから科学実験も多く取り入れてみて、
本当に、あの時の経験がなかったらいまの「くす田くす博」はいないよね。

東北に行ってから、どんな人にも通用する芸、限定するならば日本語が通じる人くらい、
自分のショーはそうあるべき
だと思ってます。

ーそれが、くす田さんのショーの理念なんですね。

ーそこから、このモリ芸の元となるチャリティー大道芸につながったんですね。

そう。俺とオマールえびさんが発起人なんだけどね。
忘れもしない、震災の翌々日くらいに農業センターで大道芸をして、
そこでオマールえびさんが俺に向かって言うの

「今日の投げ銭、全額寄付しようと思うんだけど……」

って!!!
「え!?!?」
ってなったよ。だって俺、脱サラしたばっかりで。でもさ、拒否権ないじゃん。
「そうっすね俺も……」
って、二人で5~6万円寄付したよ。

俺とえびさんは本当にタイプが違うと思う(笑)

ー私はお二人が補い合うような関係だと思います(笑)

ータイマン大道芸はどうやって生まれたんですか?

ルールとかを決めたのは俺。
タイマンが生まれたのはえびさんの「チャンピオンベルトを巻きたい」っていう一言から。

モリ芸といえばの企画になってるけど、俺の理念とは少し離れたところにいるから、
誰にでもというよりはコアなファン向けの企画だし、
実はそんなに思入れがないんだよね。

俺はもっと大道芸を大衆に広げていきたいって思ってるから。

ーでも、勝てるネタは用意してるんですよね?

初年度とかだったら俺が勝ち上がるのもありだったけどな~!

ー最後に、タイマンの注目選手を教えてください!

「サンキュー手塚」さん。楽しませてくれると思ってる。
コアなファンも多いからハマれば強いよね。
ただ、4打数1安打のホームランバッターだから、
どこでホームランが出るのか!?に期待しています。

1回戦だけで考えるなら「ブンブク」さん。
全力を当ててくると思うよ~。

ーそのお二人は本当に芸人さんからよく名前があがりますね。
ー間違いなく注目のお二人だと思います。

ーそれでは、ありがとうございました!

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今回はくす田さん自身のお話も伺ってみました!
省いたところも結構あるんですが、それでもしっかりとドラマチックなお話じゃないでしょうか。

奥様の支え力が素晴らしくって、何度も心の中で拍手していました。
私も芸人続けていたら、いつかこんなに心を動かされる経験ができるのでしょうか。
いや、むしろ動かす側になれたら嬉しいかな。

記者:MAEP

撮影のために急いで眼鏡を撮りに行ってくださいました。